▪︎静寂

静かな温泉だった。
周りの音、声などは何も聞こえない。
私たちも少し無口になった。
湯がことのほか温かったので
それが温まってくるまで
二人は何度も肩に湯を掛け合い
ひっそりとくっつき合って
唇を合わせるしか、することが無かった。
静寂は素晴らしい、と思う。
言葉のお仕事をしていても。時に。
静寂ほど、心を伝え合えることは他には無いのでは、と思う瞬間がある。
湯を掛け合う優しい指。
肩を伝って落ちるその湯たち。
唇は交わし、言葉は交わさない。
静寂の中に埋もれてしまいそうな
ほんの時々の、二人の、
無意識に漏れ出してしまうささやかな吐息。
私は彼の頭を引き寄せ
彼は私の腰を抱く。
過ぎてゆく時。
二度と戻らない時間。
故に愛おしく
切ないほどの甘美な時間。
あとどのくらい?
二人でこんな甘い時間に埋もれていられるだろう。
考えても、答えの出ないことを
考えてしまう、この
いけない癖を治そう。
彼に奪われながら
埋もれながら、
ようやく、温まってきた湯の中で
そんなことを思った。
#恋愛小説#大人の恋#最後の最愛#静寂#言葉は要らない#ずっとこのまま


