my second home
この週末、長野へ行ってきました。
30歳から50歳までを生きた長野。
子どもたちの父に会い
子ども達を授かり、育てた
私の人生に於いて、とてもとても深い意味を持つ場所。
そこでのたくさんの出会い・経験。
思ったこと・過ぎた時間。その愛おしさ・かけがえの無さ。
二度と戻らぬそれらの日々の尊さ。
色々なことを思った小旅行。

着いてすぐに
大切な彼に「こんな部屋よ」と。
「一緒に来れたらよかった」とラインを送った。
今回の旅行は、古い友人たちとの忘年会で、
彼も一緒に、と話していたのだけれども
なにせ仕事に飛び回る人で、今回も休みが取れなかった。



ビンゴ。
私はカレーセットをGET。
3軒はしご酒して深夜にホテルに戻り、
翌朝は少し早めにチェックアウトし
子ども達が幼かった頃に住んでいた家を見てきた。
近づくほどに本当に、本当に胸が痛くて。
懐かしくて。
少し切なくて。
そしてとても愛おしいような。
不思議な気持ちで走る。
幼かった息子。
そして娘。
家の前にあった杏の大木は
切り落とされて無くなっていたけれども、
大きな庭でプール遊びをさせたこと、
家の前の緩い坂道で、小さかった息子が、雪で滑ったこと、
彼らの若い父が、雪の朝、暗いうちから
玄関前の雪を掻いてくれていた
そのスコップの音までが鮮明に蘇った。
週に一度、家のそばに来ていた「移動図書館」
子どもたちを両手に抱えて
毎日絵本を読んだこと、
最後の日ー
彼らの父に殴られて
二人を抱いて飛び出した
遠い、遠い、夏の日のことー

あれから20年余りの時が過ぎた。
よく。
歩いてきたな、と思う。
そして彼にも、そんな想いを送った。
苦しいことはあったと思うけれど
いつも私の両側には子ども達が変わらずにいた。
共々に独立した今も、
その、息がかかりそうな彼らとの距離感には
変わりが無いなと思う。
とても良い旅だった。
変わらぬ友達。
過ぎた日々。
そして今、そばにいてくれる大切な人。
総じて私は幸福なのだろう、
知りうる、すべての人に感謝とLOVEを。
短い小旅行を終えて今、
心からそう思っている。


